今人気なバンドも、売れない自体は狭いアパートに住んで、もやしだけ食べてた時代があるってよく聞きます。
はい。僕も上京した20代中盤くらいにこういう時期はありました。笑
でも、両親や頼れる人はいるので、死ぬほどひもじくなる事はありませんでしたが、もやしが主食の時期はありました。
ただ、僕は比較的石橋を叩いて渡るタイプなので、音楽での収入はそれなりにはありました。
それなのに、なぜかお金がなくなって、もやしを食べざるを得ない時期があったのです。
こちらの記事でも書きましたが、残念な事に、音楽業界には夢を食い物にする怪しい事務所や団体が結構あります。
僕が実際に所属して、心身ともに蝕まれていた時の話です。
長くなりそうなので、数回に分けて書いていきたいと思います。
全てのはじまり…
上京当時、ツテも仕事もない状態だった僕は、ギターの実力はそれなりにあったので、毎日ジャムセッションに通ったり、ジャズやファンクのギグをこなす日々を送っていました。
ジャムセッションについては以下の記事より
しかし僕は、作曲家になる夢があったので、色々事務所を探していましたが、どこにデモを送っても審査落ちしてしまうし、紹介してもらえる仲間もいなかったので、まずは実力をつけないと、と思い、作曲スクールを探し始めました。
すると、都内で
「オリコン1位獲得の作曲家が、直接指導」
みたいな謳い文句の音楽教室を発見。
さらに、教室自体は音楽事務所が経営してるとの事で、スクールで良い成績をあげたら事務所所属のアーティストになるという、よくあるパターンです。
講師ページを見てみても、業界で長くやってるような人が多かったので、ここに問い合わせてみることにしました。
俺「プルルルッ」
ガチャ
電話「….はい。」
俺「(うっわ塩w)すみませんレッスンの件で問い合わせたんですけど….」
電話「あぁ〜、今、○○のアーティストの仕事が入っちゃってさ、○○のテレビ局にいて忙しいの。また改めてスケジュール組んでくれる?」
俺「あ、はいわかりました。(なんか話し方自慢くさくてうざw)」
そこでやめておけば良かったのに、やる気しかない僕は、改めて予定を調整して、そのスクールに体験レッスンに行くことになってしまいました。
体験レッスン当日….寝坊
体験レッスンを予約した当日、なんと僕は寝坊してすっぽかしてしまいました。笑
普段遅刻なんかしないのに、めっちゃ焦りましたが、今考えると、神様が「やめとけ」って言ってたんでしょうね〜。
慌てて電話をすると、以前電話対応してくれた業界人っぽい人が
電話「あぁ〜〜いいよ!こちらも丁度●●の仕事で忙しかったから!また、予定合わせて。」
あぁ、なんか優しいかも。。良かった。と、日時を改める事にしました。
後日、改めて体験レッスン
そして当日。電話で嫌な予感はしていましたが、案の定、いかにも「業界人です」みたいな人が待っていました。電話もこいつだったんだな。。。と今更気づきました。
業界人は、作曲家でもあり、楽器のプレイでの仕事もしている人でした。
レッスン自体は、自分の曲を聴いてもらって基本的には
キミ、いいねぇ、業界に通用するようになるよ
みたいなテレビでよくみるセリフを吐かれる感じでした。
な〜んか、怪しいな。。。と感じてはいましたが、少しでも業界に繋がりを持ちたい、早く作曲家としてデビューしたい事が勝ってしまい、僕は入会の手続きをしてしまいました。
今30代になって考えると、当時他の方法をとっていたとしても、実力や才能もしっかりと養う事ができていたと思うので、急がずに、然るべき出会いや、本当に自分にあった事務所や先生、人と出会うのを見極めるべきでした。
その後、しばらくはいい感じでした。
この業界人は、最初の頃は楽曲を肯定する形だったので、僕としてもやる気にもつながっていたので良い状況ではありました。いかにもな業界人チックな話し方も、ややイジれるくらい楽しんでいる部分もありました。そんな中….
事件簿1:傘を持ち、恐怖に怯えた古株青年
そのスクールに出入りしているのは僕だけではなかったので、他にも何人か顔見知りがいました。
その中で一人、古株っぽい方(以下、古株青年)がいたのですが、生徒として以外も、業界人の普段の仕事の機材運びやセッティング、雑用をしているようでした。
いわゆる「お付きの人」我々の業界では「ローディ」なんか言いますが、基本的にはローディは、プロの現場についていって他のプロミュージシャンや業界の人に顔を知ってもらえたりするので、プロを目指す人からしたら、喉から手が出るくらいやりたい立場なのです。
ある日、スクールの帰りにその古株青年に傘を貸した時のことです。
あ、古株青年さん、傘ないんすね。僕忘れてたの2本あるんで、1本使ってください。思い出したら返してくださいw
あ、す、すみません。ありがとうございます。助かります。
……..。(チラチラ)
翌日
僕は新宿のレストランでギター演奏の仕事の最中でした。(この事務所の仕事ではありません)急に古株青年から鬼電が来て
海津さん、今、どこにいますか????どこですか??!!
え…新宿の○○ですけど、どうしたんですか?
わかりました。ありがとうございます!
すごい焦っていたので、どうかしたのかな?と思ったのですが、あっさり電話は切られ、その後、古株青年が現場までやってきました。
ハァ……ハァ…..海津….さん……傘……お借りしてたので返しに来ました……..ハァハァ
えw別にいいのにwwwわざわざ返しに来てくれたんですか?wwwww
はい….借りたものは….返すのが……当たり前なので(ゼェゼェ)
そして古株青年はそそくさと帰って行きました。演奏見ていってくれたら良かったのに。w
そして、その後古株青年と会うことは2度とありませんでした。笑
古株青年は叱責されていた
後日知ったのですが、傘を借りた事に関して、古株青年は業界人に激しく叱責されていたそうです。
それまでも、手厳しく色々言われてるなぁ〜。古株青年、トロそうだししょうがないのかな。と思っていたのですが、流石に傘借りただけで叱責されるなんで、なんか変だなぁ。と思ったわけです。
その後、自分が同じ目に合う事もつゆ知らず。
今回はここまで
1回で終わるつもりでしたが、書いていると面白くなってきたので、何回かに分けて書きたいと思います。
今となっては1つのエピソードとして話せますが、当時は本当に心身ともに疲弊していました。
プロを目指す方は、どうかご自身のスタンスや目標にあった先生や上司をしっかりと、選んでいただきたいと思います。